チル菜び

いつか行きたい日本の名所、今日の一曲、ミスチルネタ、中森明菜ネタ、
行った気になる世界遺産、車中泊旅行ネタなどを自分勝手に書き綴ってます。

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滋賀県へ

仁王門 長い参道の本堂近くに立つ仁王門は、本堂と同じ年代に建立されました。 三間二間で一対の金剛力士像が向きあっております。 正面につり下げられた一対の大草鞋は昔は仁王像の大きさに応じて50cm程度でしたが、江戸時代中頃から仁王門を通過する参拝客が健脚
『湖東三山 	釈迦山 百済寺へ行ってきました③』の画像

湖東三山 釈迦山 百済寺へ 百済寺は1400年以上前の推古14年、聖徳太子さまによって創建された近江国最古級の寺院です。 名だたる人物の歴史舞台として、また天台別院と称され、近江の人々の信仰を集めてきました。 通用門 創建当時は、日本に仏教を伝来した渡来僧
『湖東三山 	釈迦山 百済寺へ行ってきました①』の画像

重要文化財 三重塔 待龍塔と呼ばれ、古文書によれば寛元4年(1246)4月9日の記があり国宝の本堂より40年余り先に建立されました。  寺に保管の永正17年(1520)在銘の相輪部材は重要な考証資料で附指定されている。  寺記によれば、天保4年(1833)頃には相当に破損
『湖東三山 松峰山 金剛輪寺へ行ってきました⑥』の画像

鐘楼 県指定文化財 乾元2年(1303) 国宝 大悲閣本堂 弘安11年(1288)1月建立の銘が須弥壇にあり鎌倉時代の代表的な和様建造物として国宝に指定されており、東京オリンピックには世界に誇れる日本の建造物の一つとして文部省が十分の一の
『湖東三山 松峰山 金剛輪寺へ行ってきました⑤』の画像

千体地蔵 本堂までの参道にお地蔵さまが立ち並んでいます。 地蔵堂 信徒、縁者の回向道場。平成9年(1997)に新築。 本堂に向かう参道。きつかった・・・ 二天門 室町時代中頃に建立、八脚門ともいわれるように当初は楼門でありました
『湖東三山 松峰山 金剛輪寺へ行ってきました④』の画像

名勝 金剛輪寺明壽院庭園  江戸末期の史料しかないため作庭の時期や作者は不明であるが、書院を中心に三つの池庭が連続し、南庭は桃山時代、主庭をなす東庭は江戸時代初期、北庭は江戸末期の作と推定される。  南庭は小池であるが、出島には三個の自然石を連ねて橋
『湖東三山 松峰山 金剛輪寺へ行ってきました②』の画像

注昨年の続きです 湖東三山 松峰山 金剛輪寺へ 総門 「黒門」とも呼ばれる。江戸時代の建立。 天台宗 金剛輪寺  松峯山金剛輪寺は、聖武天皇の勅願により天平13年(741)にで行基が開山したと伝えられる。  秘仏の聖観世音菩薩は行基が一刀三礼で彫り進めた
『湖東三山 松峰山 金剛輪寺へ行ってきました①』の画像

つづき・・・ 夫婦杉(千年夫婦杉) 家内安全、良縁、夫婦和合、子授け、安産、息災延命 樹齢約1000年 二天門手前右側の霊木で、元々二本であった木が寄添い一つになって、共に育っていることから夫婦杉と呼ばれる。 後側から子供の様に若木がでていることから良縁
『湖東三山 龍應山 西明寺へ』の画像

つづき・・・ 三重塔(国宝) 鎌倉時代後期建立。 飛騨の匠が、釘を1本も使用しないで建てた、総桧の塔である。 一層には一面に巨勢派の極彩色による絵が画いてある。 八天画、法華経の絵説き、八大龍王、三十二菩薩、花鳥などである。 本堂(
『湖東三山 龍應山 西明寺へ』の画像

湖東三山 龍應山 西明寺へ 宗派は天台宗、本尊は薬師如来、平安時代初期創建。 この日はあいにくの雨模様。 だからなのか最初は貸し切り状態でした。 名勝庭園「蓬莱庭」 池泉観賞式の庭園で、鶴亀の「蓬莱庭」と名付けられている。 鶴や亀を形どった石組
『湖東三山 龍應山 西明寺へ』の画像

白雲館 明治10年に八幡東学校として建築された貴重な擬洋風建造物です。 近江商人が子どもの教育充実を図るためその費用の殆どが寄付で賄われました。 現在は観光案内所が設けられ観光情報の提供や、お土産や特産品も展示販売されています。 2階フリースペースでは
『🌌近江八幡🌌完結編』の画像

日牟禮八幡宮 楼門 伝記によれば、131年、第13代成務天皇が高穴穂の宮に即位の折に、武内宿禰に命じ、現在のこの地に大嶋大神(地主神)を祀られたのが、社の鎮座の始めとされています。 能舞台 應神天皇6(275)年、天皇が近江に行幸されました。その
『🌌近江八幡🌌日牟禮八幡宮』の画像

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