帰りは別のルートからです。 バス乗り場に着きました。 ここ沢山の駐車スペースがありますが利用できません。 帰りのバスは遠回りルートになります。 竹田駅やまちなかを廻り山城の郷に戻ります。 来る途中に気になった橋も見ることができました。 虎臥
兵庫県へ
竹田城跡へレッツラ555=333
ここで写真が何故か白黒に(笑) どうやら本丸に向かう道のようです。 天守台に登る階段のようです。 戻りました(笑) 南二の丸 南千畳
竹田城跡へレッツラ55=333
北千畳 三の丸 武の門 二の丸 ウーーーン・・・ガスってますね~(;´д`)=3トホホ・・
予定変更して竹田城跡へレッツラ5=333
雲海の中の竹田城跡が見たくて立雲峡のみの訪問予定でしたが、全く見えず・・・ 早々に退散して次の目的地へ向かう予定でしたが・・・ 運転してて『竹田城跡』って看板を見たとたん「行ってみるか!!」って気になり、急遽予定変更しました。 なんとここは【いつか行きたい日
お風呂入って車中泊zzz・・・
道の駅あさごを後にして・・・ よふど温泉へ 隣は「もやいの里」と書いてありましたが、なんだったのでしょう。 なんだか野菜とか売ってるような気配ですよね~ 写真「ウィキペディア」より そして立雲峡駐車場で車中泊 ここに来る時の道、
そして☆☆☆☆☆生野銀山へ
トロッコレール跡 滝間歩坑(坑道出口) この桧造りの坑口は徳川時代の杭口を模して築造したもので、「三ッ留」という化粧木は神前の鳥居をあらわしている。 滝間歩旧坑 生野銀山の初期(1542年頃)に掘られた坑道で鉱脈の巾だけを掘った、人のやっと 通れる程
そして☆☆☆☆生野銀山へ
江戸時代採掘ゾーン 掘大工と女手子 砕女 石臼 鉱石を小さく砕いて銀鉛を含んだ鉱石によりわける 精錬をするために鉱石を細かく砕くための臼
そして☆☆☆生野銀山へ
↓ボタンを押すと光と爆破音が鳴ります。 ↓ダイナマイトを詰める人 穿岩機であけられた穴にはダイナマイトが詰められ、発破器を押すと中心部から1/100秒~1/1000秒の間隔で爆破し、岩盤を崩します。 シュリンケージ 鉱脈というのは丁度1枚の板を立て
そして☆☆生野銀山へ
近代採掘ゾーン 昭和48年閉山まで使用された機械等を展示しています。 スラッシング作業 ダイナマイトで破砕された切羽の鉱石を奥の方から手前の方にスクレーパーでかき寄せます。 スクレーパー スラッシャー サ
そして☆生野銀山へ
続いて向かったのは・・・ 生野銀山 生野銀山は但馬国(兵庫県朝来市)-に開かれていた戦国時代から近代にかけての日本有数の銀山で、明治新政府が日本の鉱業の近代化を確立するために最初に官営鉱山とした模範鉱山である。 昭和48年(1973年)に資源減少による鉱石の品質の
続・姫路城西御屋敷跡庭園「好古園」
双樹庵 こちらは裏千家第十五代家元千宗室氏の設計・監修による本格的数寄屋建築の茶室です。 500円でお抹茶と生菓子を頂くことができます。 松の庭 姫路城が少しだけ見えてますが、実際はもっと綺麗にみえます 竹の庭 とても広い庭園でし
姫路城西御屋敷跡庭園「好古園」
続いて姫路城のお隣にある 姫路城西御屋敷跡庭園「好古園」 を訪れました。 ちなみに姫路城の入城料は1000円、好古園との共通券は1040円でたった40円の違いなので、せっかくだからと行ってみることにしました。 好古園は、市制百周年を記念して建造された約1万坪
姫路城へ≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫🏯
西の丸 この曲輪は、姫路城主本田忠政が大坂夏の陣のあと、将軍徳川秀忠の長女千姫をめとった息子忠刻のために、元和4年(1618)に御殿を建てたところで、「中書丸」ともいわれていました。 中書とは、忠刻の官職中務大輔の唐名です。 御殿を囲むように築かれた長屋は
姫路城へ≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫🏯
鏡石 ぬの門を抜けたところに鏡石と言われるものがあります。 に何かが見えるのですが、わかりますか?? 答えは、城壁の石が顔に見えます。 城主の権威を示すと言われている石で「人面石」と言うこともあります。 その左隣にはハート石があるのがわかります
姫路城へ≫≫≫≫≫≫≫≫≫🏯
こちらで映画「007は二度死ぬ」の撮影が行われたそうです。 太鼓櫓(への櫓) 上山里曲輪と東曲輪を区切る要所にあります。 北に接するりの門からは「慶長4年(1599)」の墨書が見つかっており、 池田時代以前の建物の可能性があります。 りノ門 お菊井戸
姫路城へ≫≫≫≫≫≫≫≫🏯
多分、どっかの窓から撮ったものだと思われます(笑) さて、お城の外に出てきました。 備前丸 ここは備前丸という曲輪で、「御前丸」と呼ばれていた時期もありました。 もともと池田輝政の御殿がありましたが、本多忠政が城主になると、御殿は三の丸に移さ