チル菜び

いつか行きたい日本の名所、今日の一曲、ミスチルネタ、中森明菜ネタ、
行った気になる世界遺産、車中泊旅行ネタなどを自分勝手に書き綴ってます。

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岩手県へ

前記事・・・観自在王院跡へ西門跡四脚門で、親柱を掘立柱とし、前後四本の袖柱は礎石が用いられていた。また西南隅袖柱から南へ約1.2mのところにも掘立柱の穴があり、土塁と門との間には潜戸が設けられていたらしい。発掘調査によって検出された雨落溝の状況から見て、屋根
『観自在王院跡へ㋥』の画像

前記事・・・毛越寺へ❸続いて、お隣の観自在王院跡へ向かいました。奥州藤原氏二代基衡の妻によって建立されたと伝えられています。ほぼ完全に残っている浄土庭園の遺構は平安時代に書かれた日本最古の庭園書「作庭記」の作法どおりにつくられたと考えられています。舞鶴が
『観自在王院跡へ』の画像

前記事・・・毛越寺へ❷鐘楼堂常行堂・法華堂跡法華堂跡と伝えられる土壇の西方、40尺内外さきに、方五間茅葺方形造の常行堂が南に面してあります。この建物は享保年間に建築されたものですが、創建以来同じ位置にあるものと考えられてきましたが、発掘調査によって常行堂跡
『毛越寺へ❸』の画像

前記事・・・毛越寺へ嘉祥寺跡金堂円隆寺の西に、杉並木に囲まれてほぼ円隆寺と同規模の土壇があります。巨大な礎石が完存するこの建築跡は、古来嘉祥寺跡として言い伝えられてきました。嘉祥寺は『吾妻鏡』にある嘉勝寺に相当します。この堂跡は金堂円隆寺とほとんど同規模
『毛越寺へ❷』の画像

前記事・・・中尊寺へ⑥その後毛越寺へ向かいました。「モウエツジ」と読みたいところですが、「モウツウジ」と言います。「越」は慣用語で「オツ」と読み、「モウオツジ」が「モウツジ」になり、さらに「モウツウジ」に変化したのだそうです。境内は「毛越寺境内 附 鎮守社
『毛越寺へ』の画像

前記事・・・中尊寺へ⑤弁財天堂本尊の弁財天十五童子(べんざいてんじゅうごどうじ)は仙台藩主伊達綱村公の正室仙姫によって1705年に寄進されたもので、堂は1716年に建立されました。また堂内には千手観音菩薩二十八部衆も安置されています。大日堂1802年の再建で、本尊は
『中尊寺へ⑥』の画像

前記事・・・中尊寺へ④大長寿院『吾妻鏡』によれば、二階大堂(大長寿院と号す)の高さは五丈(約15m)、本尊は三丈(約9m)の金色の阿弥陀像、脇には丈六(約4.8m)の阿弥陀像九躰が安置されていたといわれます。1189年(文治5年)、奥州征伐の折に二階大堂を見た源頼朝は
『中尊寺へ⑤』の画像

前記事・・・中尊寺へ③金色堂中尊寺創建当初の姿を今に伝える唯一の建造物で、天治元年(1124)に上棟されました。堂の内外に金箔を押した「皆金色」の阿弥陀堂です(屋根部分は解体修理の際に金箔の痕跡が発見できなかったために箔補てんは見送られました)。 まず堂内の
『中尊寺へ④』の画像

前記事・・・中尊寺へ②不動堂本堂近くの不動堂は昭和52年建立の祈祷堂です。御本尊の不動明王は1684年、仙台藩主伊達綱村公により天下泰平を祈願し新調されました。不動明王様は、邪を破り、我々の過ちを正してくれる仏様で、少々厳しいお顔をされています。皆様の願い事に
『中尊寺へ③』の画像

前記事・・・中尊寺へ地蔵院御朱印所瑠璃光院西行上人歌碑みちのくにゝ平泉にむかひて束稲と申す山のはべるにはなの咲きたるを見てよめる「きゝもせずたばしねやまのさくらばな よし野の外に斯るべしとは」〔聞いたこともない束稲山の桜が、桜の名所の吉野に勝るとも劣らな
『中尊寺へ②』の画像

前記事・・・柳之御所遺跡へ❸この旅の一番の目的地、中尊寺へ!! 月見坂 中尊寺は標高130メートルほどの東西に長い丘陵に位置しているため、この坂が古くから本堂・金色堂へと参拝する人々の表参道として利用されてきました。 参道をのぼり始めると、両脇には江戸時代に
『中尊寺へ』の画像

前記事・・・柳之御所遺跡へ❷汚物廃棄穴ウリ科種子や寄生虫卵、トイレットペーパーにあたる「ちゅう木」が多量に見つかった穴を、汚物廃棄穴と呼んでいます。これは、容器を使い排泄した後に、ふん尿を一時的に取りまとめた穴と推定されます。堀大規模な堀で区画されたすが
『柳之御所遺跡へ❸』の画像

前記事・・・柳之御所遺跡へ倉庫風の建物柱の配置から、高床構造と推定できる建物で、倉庫の跡と考えられます。同様の建物は観自在王院跡の南側でも見つかっており、『吾妻鏡』に記載される「高屋」と想定されます。廃棄穴(井戸)井戸として使用しなくなった後に、不要となっ
『柳之御所遺跡へ❷』の画像

前記事・・・無量光院跡へ続いて柳之御所遺跡へ👆は道の駅前にある柳之御所資料館ですが閉館中でした・・・2021年リニューアルオープン予定だそうです。しかしながら遺跡自体は自由に見学できました。この遺跡は、平安時代末(12世紀)の居館跡で、歴史書『吾妻鏡』に記載される「
『柳之御所遺跡へ』の画像

前記事・・・高館義経堂へ②続いて無量光院跡へ行きました。 無量光院は、極楽西方浄土を再現した12世紀(平安時代)の仏教寺院の貴重な例で、浄土庭園の最高傑作と評価されています。無量光院とその浄土庭園からは、建築物としての重要性に加え、当時の人々が思い描いた極楽西
『無量光院跡へ』の画像

前記事・・・高館義経堂へさてさて義経堂が見えてきました。義経堂の堂内に、本尊として祀られているのが、堂創建時に製作された木造の源義経公像です。凛凛しい武者姿の像は、極めて綿密に作られており、その技法には製作した時代より古い時代のものも見ることができます。その
『高館義経堂へ②』の画像

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