チル菜び

いつか行きたい日本の名所、今日の一曲、ミスチルネタ、中森明菜ネタ、
行った気になる世界遺産、車中泊旅行ネタなどを自分勝手に書き綴ってます。

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静岡県へ

入徳門(にゅうとくもん)木造、平家建。切妻造り。延面積14.16m2宝永元年(1704)建造。入徳とは、朱熹の「大学章句序」「子程子曰、大学、孔子之遺書而初学入徳之門也。」による。子程子(していし)曰わく、大学は孔氏の遺書にして、初学の徳に入るの門なり。子程子 … 宋の儒
『湯島聖堂 散策2』の画像

ロープウェイ駐車場から日本平を少し散策しました。 日本平デジタルタワー 静岡県のテレビ放送を送信する集約電波塔です。 日本平夢テラス この時、オープンして間もないころだったようです。 「赤い靴」の女の子・母子像 野口雨情作詞の童謡『赤い靴』
『日本平夢テラスに立ち寄り』の画像

「金の成る木」について 司馬温公の甕割り この絵は中国北宋の政治家、司馬温公の少年時代のお話です。 ある日、一緒に遊んでいた友達が水甕の中に落ちて溺れてしまいました。もう一人の友達はハシゴをかけて助け出そうとします。 いっぽう聡明な司馬少年
『・・・久能山東照宮へ∞∞∞∞∞』の画像

廟所参道 廟門から神廟までの間をつなぐ参道です。左右には家康公に仕えた武将たちが奉納した石灯籠が据えられており、厳かな雰囲気が漂っています。 神廟 神廟は本殿の後方にある廟門より約40段の石段を登った所にあります。 ここは御祭神徳川家康
『・・・久能山東照宮へ∞∞∞∞』の画像

玉垣 玉垣は御社殿の周囲にめぐらされた垣です。 玉垣腰に92枚・渡廊下腰に14枚・計106枚の彫刻があり、それぞれ一枚の板を彫り上げた透彫で、生彩色を施しています。 106枚の彫刻のうち、鳥を扱ったものが圧倒的に多く、その中でも小鳥が45枚あり、その殆どが2羽か3羽
『・・・久能山東照宮へ∞∞∞』の画像

唐門 拝殿正面にある門で、屋根は銅瓦本葺黒漆塗の四方唐破風造の門です。羽目板に唐獅子牡丹、黒松に鳥の透彫があります。 こちらからは上に登ることができません。 神庫 奈良の正倉院と同じ校倉造りの建物で、博物館ができるまでは神社に伝わる宝物類が納められ
『・・・久能山東照宮へ∞∞』の画像

神厩(しんきゅう) 当時は家康公の愛馬を飼育していましたが、現在は名工左甚五郎作と伝えられる木像の神馬が納められています。(眼球はギヤマンを使用しています。) なお、社伝によると家康公の愛馬は神廟裏手石垣の南隅に埋葬されたと伝わっています。
『・・・久能山東照宮へ∞』の画像

ロープウェイを降りた先には久能山東照宮があります。 久能山には、推古天皇(592年~628年)のころ、久能忠仁が建立したと伝えられた久能寺があった。静岡茶の始祖と言われる聖一国師がここで修行し、また、多くの名僧が往来し隆盛を極めた。 下って永禄11
『・・・久能山東照宮へ』の画像

日本平ロープウェイ乗り場に向かいました。 こちらの駐車場は一台ごとのスペースがそこいらのスーパーのPより狭く、駐車するのに一苦労。。。 白線ギリギリ。ミラーは畳まないとへし折られます(^^;) 軽で丁度くらいですね~ 行きは黄色。
『日本平ロープウェイに乗って・・・』の画像

松林を抜け、海辺に出ました。 偶然に、おじ様、おば様たちが朝の集会?をしていらっしゃいました。 通りすがりに一人のおじ様が話かけてくださり、「写真を撮るならあっちで撮ったらいいよ。」と。。。 それが↑の突き出たあたり。 遠いなぁ・・・(^^;;と思いながら
『三保の松原へΨΨ』の画像

エレーヌの碑 フランスのダンサー、エレーヌ・ジュグラリスはさらなる舞踊を求めて日本の「能」を研究する中で「羽衣伝説」を知り、これを題材にした作品「羽衣」を発表。 彼女は来日して伝説の舞台となった三保の松原を訪れることも希望していたが、病気により叶うこ
『三保の松原へΨ』の画像

三保の松原で朝の散歩です。     羽衣伝説 昔々、三保の松原に伯良という漁師がおりました。 ある日のこと、伯良が松の枝にかかっている美しい衣を見つけて持ち帰ろうとすると、天女が現れて言いました。 「それは天人の羽
『三保の松原へ』の画像

湯らぎの里でひとっ風呂 もう一か所行く予定のところがあったのですが、やはりこの時期日没が早いとゆーのもあり、疲れもあり、早めのお風呂にしました。 スーパー銭湯とゆーこともあり、館内施設が充実してて満足でしたよ~
『湯らぎの里でひとっ風呂♨』の画像

伊豆フルーツパークへ 実は、こちらへは行く予定はなかったのですが、時間があり途中看板を見つけて立ち寄ってみました。 こちらでは季節によってイチゴ、メロン、みかんなどイロイロな果物狩りができるようです。 2Fは大型レストランのようで、沢山の大型バス
『伊豆フルーツパークへ』の画像

出丸御馬場堀 堀内に畝が検出されたことから、西櫓堀・西ノ丸堀と同様畝堀であったと考えられる。 畝の高さは、堀底から約2m、頂部の幅0.6m、馬の背のように丸みを帯び、堀をさえぎるように堀の方向に直角に造り出し、ローム層を台形に掘り残して造られたものである。
『山中城跡へ≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫』の画像

続いて岱崎出丸に向かいました。 あまりにも広すぎて、この時点で相当疲労感がありました(;´Д`A ``` やめようかとも思いましたが、せっかくなので老体に鞭打ち歩きました(ノ´∀`*)  御馬場跡 山中城の出丸は、通称岱崎出丸と呼ばれ
『山中城跡へ≫≫≫≫≫≫≫≫≫』の画像

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