チル菜び

いつか行きたい日本の名所、今日の一曲、ミスチルネタ、中森明菜ネタ、
行った気になる世界遺産、車中泊旅行ネタなどを自分勝手に書き綴ってます。

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🍀おでかけ

前記事・・・岩手県  道の駅 錦秋湖湯田貯砂ダムへ貯砂ダムの通廊を通りたかったのですが・・・あいにく閉鎖中でした(TOT) 
『湯田貯砂ダムへ』の画像

前記事・・・えさし藤原の郷へ㊄徳水園・円筒分水工へ 写真では分かりずらいかもしれませんが、とてつもなく大きいです(゜o゜;;ゴーーーーッとゆー音が聞こえていました。外円形が約31.5mあります。大きさでは第2位だそうですよ~(ちなみに1位は山口にあるようです。)素敵な
『徳水園・円筒分水工へ』の画像

前記事・・・えさし藤原の郷へ㊃伊治城(いじじょう)金色堂バスの運転手さんに「本物を見たのなら見に行かなくてもいいよ~」と言われましたが、ものは試しに立ち寄ってみました。なるほど・・・(^^;;義経持仏堂安宅関経清館(つねきよのやかた)このあと記念館にも行ったし、も
『えさし藤原の郷へ㊄』の画像

前記事・・・えさし藤原の郷へ㊂伽羅御所(きゃらのごしょ)牛車(ぎっしゃ)鯉が水際まで・・・(゚∀゚ ;)タラー東対(ひがしのたい)料理所(りょうりどころ)西対(にしのたい)つづく・・・
『えさし藤原の郷へ㊃』の画像

前記事・・・えさし藤原の郷へ㋥清衡館(きよひらのやかた)東対(ひがしのたい)寝殿西対(にしのたい)屋外ステージ 舞楽殿望楼櫓こちらで終点です。ひと廻りしました。ここから再び歩いて散策しました。つづく・・・
『えさし藤原の郷へ㊂』の画像

前記事・・・えさし藤原の郷へここからは「ゆめひら号」とゆー小さなバスに乗っての観光です。こちらには沢山の鯉が泳いでいて観光客の餌を待ってました。なので後ほど再度歩いて行ってみましたよ~バスは清衡館(きよひらのやかた)にて暫く停車します。つづく・・・
『えさし藤原の郷へ㋥』の画像

前記事・・・岩手県 道の駅 みずさわえさし藤原の郷へとりま腹ごしらえ(⌒¬⌒*)私は名物(?)弁慶のほろほろ漬けラーメン🍜食べ方の説明が書いてありました。ほろほろ漬けとは数種類の細かくした野菜の漬物の事をピリ辛にしたもので、とっても美味しかったです。なのでお土
『えさし藤原の郷へ』の画像

前記事・・・観自在王院跡へ西門跡四脚門で、親柱を掘立柱とし、前後四本の袖柱は礎石が用いられていた。また西南隅袖柱から南へ約1.2mのところにも掘立柱の穴があり、土塁と門との間には潜戸が設けられていたらしい。発掘調査によって検出された雨落溝の状況から見て、屋根
『観自在王院跡へ㋥』の画像

前記事・・・毛越寺へ❸続いて、お隣の観自在王院跡へ向かいました。奥州藤原氏二代基衡の妻によって建立されたと伝えられています。ほぼ完全に残っている浄土庭園の遺構は平安時代に書かれた日本最古の庭園書「作庭記」の作法どおりにつくられたと考えられています。舞鶴が
『観自在王院跡へ』の画像

前記事・・・毛越寺へ❷鐘楼堂常行堂・法華堂跡法華堂跡と伝えられる土壇の西方、40尺内外さきに、方五間茅葺方形造の常行堂が南に面してあります。この建物は享保年間に建築されたものですが、創建以来同じ位置にあるものと考えられてきましたが、発掘調査によって常行堂跡
『毛越寺へ❸』の画像

前記事・・・毛越寺へ嘉祥寺跡金堂円隆寺の西に、杉並木に囲まれてほぼ円隆寺と同規模の土壇があります。巨大な礎石が完存するこの建築跡は、古来嘉祥寺跡として言い伝えられてきました。嘉祥寺は『吾妻鏡』にある嘉勝寺に相当します。この堂跡は金堂円隆寺とほとんど同規模
『毛越寺へ❷』の画像

前記事・・・中尊寺へ⑥その後毛越寺へ向かいました。「モウエツジ」と読みたいところですが、「モウツウジ」と言います。「越」は慣用語で「オツ」と読み、「モウオツジ」が「モウツジ」になり、さらに「モウツウジ」に変化したのだそうです。境内は「毛越寺境内 附 鎮守社
『毛越寺へ』の画像

前記事・・・中尊寺へ⑤弁財天堂本尊の弁財天十五童子(べんざいてんじゅうごどうじ)は仙台藩主伊達綱村公の正室仙姫によって1705年に寄進されたもので、堂は1716年に建立されました。また堂内には千手観音菩薩二十八部衆も安置されています。大日堂1802年の再建で、本尊は
『中尊寺へ⑥』の画像

前記事・・・中尊寺へ④大長寿院『吾妻鏡』によれば、二階大堂(大長寿院と号す)の高さは五丈(約15m)、本尊は三丈(約9m)の金色の阿弥陀像、脇には丈六(約4.8m)の阿弥陀像九躰が安置されていたといわれます。1189年(文治5年)、奥州征伐の折に二階大堂を見た源頼朝は
『中尊寺へ⑤』の画像

前記事・・・中尊寺へ③金色堂中尊寺創建当初の姿を今に伝える唯一の建造物で、天治元年(1124)に上棟されました。堂の内外に金箔を押した「皆金色」の阿弥陀堂です(屋根部分は解体修理の際に金箔の痕跡が発見できなかったために箔補てんは見送られました)。 まず堂内の
『中尊寺へ④』の画像

前記事・・・中尊寺へ②不動堂本堂近くの不動堂は昭和52年建立の祈祷堂です。御本尊の不動明王は1684年、仙台藩主伊達綱村公により天下泰平を祈願し新調されました。不動明王様は、邪を破り、我々の過ちを正してくれる仏様で、少々厳しいお顔をされています。皆様の願い事に
『中尊寺へ③』の画像

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