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汚物廃棄穴
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ウリ科種子や寄生虫卵、トイレットペーパーにあたる「ちゅう木」が多量に見つかった穴を、汚物廃棄穴と呼んでいます。
これは、容器を使い排泄した後に、ふん尿を一時的に取りまとめた穴と推定されます。


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大規模な堀で区画されたすがたは柳之御所遺跡の大きな特徴です。
内と外の平行する2本の水のない空堀が見つかっています。

2本の堀は時期が異なり、併存していたわけではありません。
遺跡の南側では内側の堀が新しく、三代秀衡の頃はこの堀に囲まれていたと考え、一部を復元しました。
堀は延長500mもあり、全体像の解明はこれからです。

内側の堀は最大で幅14m、深さ4mもあります。
堀には橋が架けられ、遺跡の外の道へとつながっていました。


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堀には橋がかけられていました。
この地点を含めて、現在までに3か所が確認されています。
この他にも無量光院へと結ぶ地点など、橋の存在が予想される場所もあります。
堀からは橋の部材と考えられる角材が出土しています。

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道路跡
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平行した2本の溝跡を、道路の側溝と考えました。
幅は10~12mほどで、遺跡の南側では全長50mにわたり見つかっています。
また、この道路の南端には堀にかかる橋があり、その線を延長すると、町内で発掘されている道路とつながると考えられます。


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伽羅御所跡への道
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柳之御所遺跡(平泉館)の南側には、低地である猫間が淵遺跡をはさんで、伽羅御所跡が接しています。
この遺跡は歴史書『吾妻鏡』の中で、藤原秀衡の日常の居所として記述されている「加羅御所」の推定地となっています。

2つの遺跡は堀や低地によって区画されていますが、この場所では堀をまたぐ橋跡が見つかっています。
秀衡の時代には、政治の場である平泉館と、生活の場である加羅御所とを、橋や道路で結んでいたと考えられます。

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