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廃棄穴(井戸)
無量光院は、藤原秀衡によって12世紀末に建立された寺院で、低地である猫間が淵遺跡をはさんで、柳之御所遺跡の西側に接しています。
倉庫風の建物
柱の配置から、高床構造と推定できる建物で、倉庫の跡と考えられます。
同様の建物は観自在王院跡の南側でも見つかっており、『吾妻鏡』に記載される「高屋」と想定されます。
廃棄穴(井戸)
井戸として使用しなくなった後に、不要となったものを捨てた穴です。
これらの穴からは、たくさんの種類の建物が多量に出土し、当時の様子を知る手がかりになっています。
この井戸跡は、深さが約3.5mあり、建物の部材がまとめて廃棄されていました。
無量光院への道
無量光院は、藤原秀衡によって12世紀末に建立された寺院で、低地である猫間が淵遺跡をはさんで、柳之御所遺跡の西側に接しています。
現在でも、無量光院跡の方向から、柳之御所遺跡に向かって通路状の高まりが確認できます。
また、この高まりにつながる低地からは、発掘調査によって、橋状の施設が見つかっています。
これらのことから、当時は、平泉館と無量光院を結ぶ道路があったと考えられています。
政治の拠点である平泉館と寺院である無量光院が、密接に関係しながら機能していたことが明らかになっています。