祈願串納所と神馬舎(?)
HPには載っていなかったけど、どうやらこちらは、神馬 神幸(みゆき)号の明(あかり)ちゃんのお家のようです。




祭祀殿・資料館
平成10年オープン。2階、3階展示室からなり、2階には神田祭のジオラマをはじめ、神田祭に関する資料を多く展示。
また、3階には神田明神に伝わる神宝を展示。
各階に江戸時代の錦絵も展示している。

開館日:土日、祝祭日の午前10時〜午後4時
拝観料:大人300円、学生・子供200円。

1階には年祭を執り行うための祭祀殿がある。





小舟町八雲神社
小舟町八雲神社鉄製天水桶 一対
千代田区指定有形民俗文化財(平成17年4月1日指定)
この天水桶は、地上の高さ1,4メートルほどになる一対のもの。
なお、四角形の基壇と台座は石製。
銘文によれば、天水桶の奉納者は、江戸の魚問屋中に属する商人・遠州屋新兵衛他十名で、塩干肴や乾物などの流通を担った商人のことで、日本橋にあった魚市場の界隈に軒を並べて商いをしていた。
鋳造したのは、江戸深川上大島町(江東区大島)の鋳物師・大田近江大掾藤原正次(釜屋六右衛門、通称、釜八)。
釜屋六右衛門家は、11代続いた御用鋳物師の家系で、初代六右衛門は近江国栗太郡辻村(滋賀県栗東市辻)から寛永17年(1640)に出府している。
当初は芝に居を構えていたが、万治元年(1658)に大島村に転居した。梵鐘、天水桶、茶釜、鍋、釜などを製造していたが、明治維新後に廃業。
鳥居を入って左側の天水桶は、安政4年(1857)に再建されたもので、右側の銘文をもとに鋳造したもの。





大伝馬町八雲神社
大伝馬町八雲神社鉄製天水桶 一対
千代田区指定有形民俗文化財(平成16年4月1日指定)
この天水桶は、地上からの高さが1,4メートルほどになる一対のものである。
寸法は高さ76,7cm、口縁部の周囲287,3cm、口縁部の内径82,5cm。
八角形の基壇と四角形の台座は石製で、天水桶は鋳鉄製である。
天水桶の口縁には「巴」が連続する文様が見られ、また台座は蓮弁(れんべん)を模した形にするなど、装飾も施されている。
銘文によれば、この天水桶は、江戸深川上大島町(江東区大島)在住の御鋳物師(いもじ)である大田近江掾藤原正次(釜屋六右衛門、通称、釜六)が作成したもので、江戸の問屋仲間の一つ太物問屋仲間が天保10年(1839)6月に奉納したものです。
太物問屋とは、反物などの流通を一手に扱う商人のことで、江戸でも日本橋界隈を中心に軒を並べていました。
大伝馬町八雲神社の運営費用は、最初は、宮元である大伝馬町が伝馬入用から賄っていましたが、後に太物問屋仲間が賄うようになります。
そのため天水桶には大伝馬町の名と共に太物問屋仲間の名前が刻まれている。





江戸神社

ご祭神 - 建速須佐之男命(たけはやすさのをのみこと)


大宝2年(702)に江戸の地・現在の皇居内に創建、江戸最古の地主神として今もなお崇敬されている。
慶長8年(1603)に神田明神が仮遷座した時に神田駿河台の地に移り、その後、元和2年(1616)に神田明神が現社地に遷座するとともに江戸神社も現社地に移った。
江戸重長公や太田道灌公ら関東の武将たち信仰され、江戸時代になると南伝馬町を中心とした人々により信仰されたところから「南伝馬町持天王」「天王一の宮」などと称された。
慶長10年6月7日に初めて神輿渡御が行われ、以後「天王祭」として、神田明神より南伝馬町の御旅所まで神輿が渡御し、途中、江戸城大手橋に神輿を据えて神事も行われた。
明治元年(1868)に神社名を「須賀神社」に改めた。
同18年2月の火災により社殿を焼失、神田明神に仮遷座した。
その時に社名を今の名称である「江戸神社」に三度改めた。
平成元年5月、今上天皇陛下ご即位を記念し江戸神社奉賛会の人々により、神田市場移転により市場内に鎮座していた江戸神社の神霊を神田明神へ仮遷座し、翌12月に神輿庫を改修して、千貫神輿(昭和33年、鹿野喜平・作)を奉安し社殿として正式に鎮座し現在に至っている。
今も江戸神社奉賛会の人々により崇敬されている。
2年に一度の神田祭の時に、江戸神社千貫神輿が宮入している。






鳳輦神輿奉安殿
神田祭において、一の宮・大己貴命がお乗りになる一の宮鳳輦、二の宮・少彦名命がお乗りになる二の宮神輿、神田明神大神輿を奉安する。
神田祭の時にこの場所で「鳳輦神輿遷座祭」を執り行う。



浦安稲荷神社

ご祭神 - 宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)

元は江戸平川の河口に近い所(現内神田鎌倉町附近)に祀られていたもので、天保14年に遷座された。
祭礼日 - 3月午の日